映画『八日目の蝉』を観たよ

ここんとこ原作つきの映画をよく観てるけど、小説(や漫画)を映画にするのにどこをどう変えているか気にしながら観るのが面白く思えてきた。
小説を映画にするには、上映時間の制約や、全体のリズムみたいなものもあるから、エピソードや登場人物を削ったりまとめたりして、それでも原作のキモは掴んでるってのが理想なんだけど、この映画『八日目の蝉』は、原作のエピソードをかなり大胆に組み替えていて、そのうえ結末に映画独自のエピソードも加えて、それでも原作のキモは掴んで離さなかった、良い映画化だったと思う。

原作では前半は誘拐犯野々宮希和子の一人称、後半は誘拐され4歳まで希和子に育てられた薫(恵理菜)視点の一人称で、基本的に時間経過に沿って進行してゆくが、映画は、大学生になった薫の時間と希和子の誘拐、逃亡の生活が並行して交互に語られ進行してゆく。
そのため、原作には希和子がいつまで逃げ続けられるかわからないサスペンスがあるが、映画はそれを捨てている。
原作の前半を希和子に感情移入して読むとへとへとになるが、映画はどちらかというと大学生薫の時制をメインにしてあるので、そのあたりかなり緩和されている。

永作博美も井上真央も、薫役の子役も、女優はみんな良かったが、微妙に挙動不審の女を演じる小池栄子がなんか良かった。なぜ挙動不審なのかは原作を読んでいればわかるのだが、映画ではその理由というか小池栄子の正体はかなり後になるまで明かされないので、映画では設定を変えてるのかな?と思うくらい。なんて我慢強い演出。
全体我慢強い演出で、ある出来事やセリフの意味が後になってわかるところがいくつかある。

小豆島に渡ろうと港へ向かう井上真央と小池栄子がタクシーに乗るシーンがあるが、原作では希和子と薫が小豆島に向かう時に同じ運転手のタクシーに乗るシーンがある。大学生薫が記憶を蘇らせていく発端になるのだが、映画では過去のタクシーのシーンは無い。いい仕掛けなのになんでかな、と思ったが、その後の映画独自の写真館のエピソードと意味的に重複するから削ったんだな、きっと。

原作の感想はこちら→角田光代『八日目の蝉』を読んだよ

 

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